アレクサンドロス3世の逸話・名誉欲の果ては英雄か悪人か?
東方遠征という偉業を成し遂げたアレクサンドロス3世の逸話には実にさまざまな尾ひれが付いて周り、英雄と傍若無人な支配者の両面がいつも注目されます。
ここではアレクサンドロス3世の逸話を通してそんな両面を紐解いていますのでご参考ください。
この時代の王者の香りフランキンセンス乳香についてのパートにご注目を。
- アレクサンドロス3世のカリスマ的逸話
- アレクサンドロス3世は同性愛者だった、という逸話
- アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話
- アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話@対エジプト・神の子と呼ばれたい
- アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話A対ギリシャ出身兵・余興でも真剣勝負
- アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話B裏切りのグラ二コス会戦
- アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話C体の良い事実上の流刑
- アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話Dギリシャ出身の軍隊を容易に採用しない
- アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話E対フィリッポス二世・私は父親を超える存在
- アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話F強大な王権の視覚化戦略にアロマを巧みに活用:乳香フランキンセンス
- 結局アレクサンドロス3世は何を果たしたかったのか?
- 【補足】王たる者の香り:乳香フランキンセンス
アレクサンドロス3世のカリスマ的逸話
アレクサンドロス3世のカリスマ的逸話@人目を引く見た目をしたイケメンだった・オッドアイ
Royality now
アレクサンドロス3世は肌は色白で髪の色は黄金、オーラに満ちた立ち振る舞い、イケメンと言われるだけの甘いマスクだったという逸話は有名です。
※上の画像はアレクサンドロスの顔を再現しているデスマスク
アッリアノスの著大王伝の中では、「アレクサンドロス3世は肉体は美しく頑健、知的で勇敢」と語られています。
ちょうどのちにご紹介する映画アレクサンダーのコリンファレルのような欧米人の典型的イケメンと言われるタイプの外見をしていたのではないでしょうか?
そしてひときわ人目を引くアレクサンドロスの外見の特徴として、両目が違う色をしたオッドアイだった点もよく知られる逸話です。
一眼は夜の暗闇を、一眼は空の青を抱く
この一度見つめたら吸い込まれそうになってしまう瞳や外見がアレクサンドロス3世のカリスマ的なイメージを増幅しているのは間違いないでしょう。
アレクサンドロス3世のカリスマ的逸話A少年時代から利発
アレクサンダーのライオン狩り BC3
父親フィリッポスの不在でペルシャの遣いがやってきたときのこと。
アレクサンドロス3世はペルシャ方面の様子・戦争における王の様子・ペルシャの士気についてなどにういて彼らに質問をしています。
とても少年とは思えないこの話しぶりに遣いは少年から熱意を感じ取り、同時に少年の行く末がフィリッポス2世をはるか上回ると確信したという逸話が語り継がれています。
アレクサンドロス3世のカリスマ的逸話B暴れ馬をあっという間に調教
愛馬ブーケファラスに乗るアレクサンドロス3世
アレクサンドロス3世が特に大事にしていた名馬ブーケファラスとの出会いの逸話も見逃せません。
ある時テッサリア人がフィリッポス2世にブーケファラスという馬を高値で売ろうとしていたところ、この暴れ馬をフィリッポスが不満に思って締め出そうとしました。
アレクサンドロス3世は自分の影に怖がっていた様子を見抜いて太陽の方向を向けさせ調教してしまったと伝えられます。
アレクサンドロス3世のカリスマ的逸話Cイッソスの会戦におけるゴルディオンの結び目伝説
ゴルディオンの轅の結び目を解くアレクサンドロス3世
紀元前700年ころに現トルコ付近にゴルディウスという農民が王になったフリギュアという小さな国があり、神への感謝のしるしとして荷車を奉納しました。
荷車の轅の結び目が固く頑丈なものだったことから、「轅の結び目を解いた者はアジアの覇者となる」という言い伝えが残されたとか。
アレクサンドロスはこの轅の伝説に強烈な興味を持ち、結び目はどこが始まりでどこが終わりなのかわからないものの諦めることもできず、一刀打していとも簡単にほどいてしまったという逸話が残ってます。
こののちに宿敵ダレイオスの妻と娘を捕虜にし、金銀財宝を没収、イッソスの会戦で勝利してしまうのです
イタリアポンペイの牧師の家で発見されたモザイク
アレクサンドロス3世のカリスマ的逸話D父親の軍事力の基盤をそっくりそのままかっさらう幸運の持ち主
*当時のマケドニアの鎧
鉄製で布と革が貼り付けられ、黄金が施される
アレクサンドロス3世は天才的な軍略家として知られていますが、すべての戦術が彼のオリジナルではありません。
アレクサンドロス3世は有能な指揮官フィリッポス2世が築き上げた軍事の基盤を有効活用しながら、父親の元で戦術を磨く経験も与えられたうえで才能を開花させたのです。
ほんのわずかな期間で異国の土地を支配した英雄として知られるアレクサンドロス3世ですが、それは父親の軍事力をそのまま引き継いだ恵まれた環境にもあるとか。
運も実力のうちといいますが、この幸運のめぐりあわせもアレクサンドロスのカリスマ的逸話といってもいいでしょう。
なお、フィリッポスの時代の軍は農民なども含まれて決して戦闘に長けたわけではなかったものの一糸乱れぬ統制ぶりや俊敏な動きだけで敵国が戦争放棄することもあったほどでした。
※歩兵部隊ファランクス・密集方陣
長さ5.5mの長槍を使い、密集するとハリネズミのような陣形になった
アレクサンドロス3世のカリスマ的逸話E超人的な強さ
ダレイオス1世が建築したペルセポリス宮殿跡地
宿敵ペルシャのダレイオスとの戦いでアレクサンドロスは信じ難いほど圧勝しました。
例えば以下は両者の戦いの死者数で、ほとんど相手にならないというほどの戦いぶりと言えます。
※赤文字がマケドニア軍の死者、黒文字がペルシャ軍の死者
- グラニコスの戦い:85人 / 1000人
- イッソスの戦い:1万人
- ガウガメラの戦い:100人 / 30万人
ペルセポリス宮殿跡地
圧勝の末ペルシャの宮殿に残された財宝に限らず全てを際限なく略奪したのちに運び去り、これを繰り返して財政を強化していったのです。
アレクサンドロス3世のカリスマ的逸話F寛大な英雄
アレクサンドロスにひれ伏すダレイオスの母シシュガンビスと、妻ステタイラ
ペルシャの軍事力は最強と言われていたものの、アレクサンドロス3世を前にダレイオスは全てを丸投げし、さらに母親のシシュガンビスと妻ステタイラ、子供を置き去りにして逃走しました。
アレクサンドロス3世はダレイオスの母シシュガンビス、妻ステタイラを丁重に扱い、大王としての寛大さを示しという逸話が残っています。
なお、ステタイラについてはのちにアレクサンドロス3世の王妃となっていますが、のちに彼女は最初の王妃ロクサネに殺されます。
アレクサンドロス3世のカリスマ的逸話Gアリストテレスを師と呼びながらはるかに超える政策を打ち出す
アリストテレスとプラトン ラファエロ・サンティ
哲学や学問の巨匠問われるアリストテレスがアレクサンドロス3世の家庭教師だったのも有名な逸話です。
あるとき「正しい植民地の建設」について話したときに、以下のような王としての振る舞いを勧めていました。
- ギリシャ:友人・彼らの指導者
- 異民族:動植物同様
アレクサンドロス3世はギリシャ世界の枠組みを超えないアリストテレスの教えに対して凡庸という印象を持つだけでなく、実際は異民族を側近高官などとして就任させる政策を取っていました。
アレクサンドロス3世は同性愛者だった、という逸話
映画アレクサンダー左がコリンファレル
側近護衛官であり親友のへファイスティオンと同性愛関係にあったというのは有名な暗黙の了解的逸話です。
10人に満たない王の側近中の側近は親衛隊と呼ばれ、その中でへファイスティオンはアレクサンドロス3世自身の右腕でありかけがえのない存在だったと考えられています。
同性愛という精神的なつながりが互いの信頼関係として重要な役割を持ったのです。
この当時同性愛は決してめずらしくありませんでした。
アレクサンドロス3世の父親フィリッポスも同性愛者だったと考えられており、この同性愛関係のもつれから側近護衛官のパウサニアスに短剣で胸を刺されて即死しています。
同性愛が日常茶飯事だったがゆえにカミングアウトするまでもなく暗黙の了解でしたが、発覚しやすいのが死に際だというのは、愛と憎しみが共存しやすいことを物語ります。
映画アレクサンダーより
織田信長など日本の戦国武将でも同性愛は珍しくなかったと言うので、この戦国の強者の特徴の一つとも言えます。
※アレクサンドロス3世はこの時代の王としては異例の28歳で妻を娶っており決して同性愛者を生涯貫いたわけではありません。
アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話
アレクサンドロス3世が2000年たった今も卓越した傑物であることは疑いの余地がありませんが、強烈な名誉欲や承認欲にまつわる逸話も必ずついて回ります。
アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話@対エジプト・神の子と呼ばれたい
ルクソール神殿 ミン神とアレクサンダーの浮き彫
エジプト征服時、アレクサンドロス3世はペルシオンの最高神アモンを祭る神殿を訪れ、神託を受けるに至りました。
神殿では神と対峙するのはアレクサンドロスだけ、神託の内容は伏せられていたために信ぴょう性はだいぶ薄れますが、本人が伝えたところによると「自らは神の子だと証明された」と言います。
王の質問に対して「船が前傾すれば肯定、後傾すれば否定」というような問答が取られたとされ、話の内容からしてアレクサンドロス自身が神の子かどうかを問う内容だったと考えられ、神官が立ち合ってアレクサンドロス3世に「神の子」と呼びかけたと言うのです。
※確かに古代エジプトでは支配者をファラオと呼び、ファラオは太陽神ラーの子とされるが、通例的に神の子と呼んだだけだったのではないかと解釈される説もある。
現地の権力を支える祭司からの後援欲しさに、アレクサンドロス3世は聖堂をたて既存の聖堂の復刻を支援をしたり、壁画に自らを刻んだり必死のアピールを試みました。
我は神の子である、とはなんとも高い承認欲求を垣間見れる逸話ではないでしょうか。
アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話A対ギリシャ出身兵・余興でも真剣勝負
紀元前321年インダス川付近で宴が開かれた際、余興としてマケドニア人とギリシャ人による一騎打ちが行なわれました。
マケドニアが負けてしまったことに対してアレクサンドロスは露骨に不機嫌になり、勝者のギリシャ人に盗みの罪を着せて見せしめにして自害に追い込んだという逸話があります。
たかが宴会での余興だとしか思えない一騎打ちでの言動は、アレクサンドロス3世そのものを映す出来事です。何事においても絶対マケドニアはギリシャに負けてはならなかったのでしょう。
アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話B裏切りのグラ二コス会戦
グラニコスの会戦 シャルルルブラン
グラニコスの会戦では、宿敵ペルシャにギリシャ軍が後援する形になりました。
この会戦前、「マケドニアとギリシャはともにペルシャと戦う」という大義名分が強まっていたために、ギリシャの裏切りはアレクサンドロス3世を業火のごとく怒らせてしまうのです。
ペルシャ軍は逃走し残されたギリシャ軍はマケドニア軍に包囲され降伏を申し入れるも聞き入れてもらえません。
アレクサンドロス3世はギリシャ軍に対し歩兵と騎兵でめった打ちにしてから、さらに足枷をつけて血を流しながら重労働を負わせます。
この時のアレクサンドロス3世の逸話は「理性を失った激情」でした。
アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話C体の良い事実上の流刑
エジプト アレクサンドリア
アレクサンドロスのギリシャ出身兵に対する冷遇の逸話は事欠きません。
彼は征服した土地にアレクサンドリアと命名し(70ほどあったとされる)、経験値が豊富なギリシャ兵が配置されたものの、それは事実上の流刑を意味していました。
アレクサンドロス3世は自分に反する言動を起こした兵に対し無規律部隊というあだ名をつけて見せしめにしたと言います。
さらにギリシャ出身兵へのこうした処遇は、「既存のギリシャへの見せしめ・人質」として活用されていたのです。
アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話Dギリシャ出身の軍隊を容易に採用しない
当時のマケドニア軍にもギリシャ出身の兵は含まれていましたが、日の目を見るケースはほとんどなかったと言います。
これはアレクサンドロス3世がギリシャに対する徹底した変えることのできない不信感を表す興味深い逸話かもしれません。
下のリクルート状況のとおり花形はマケドニア人に偏っています。
- マケドニア出身の若い貴族将兵:アレクサンドロスの側近中の側近・親衛隊
- マケドニア出身の貴族:騎兵
- マケドニア出身の農民:ファンランクス(密集方陣)
- コリントス同盟所属のギリシャ兵:歩兵と騎兵
- バルカン半島民族:軽装歩兵・騎兵・槍兵
アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話E対フィリッポス二世・私は父親を超える存在
*ヴェルギナの王墳から見つかった3p代の頭像
左がオリンピュアス、中がアレクサンドロス3世、右がフィリッポス2世
アレクサンドロス3世の偉業のように見られがちな東方遠征は、実は父親フィリッポス二世の時代から計画されていたもので、彼自身はその北限をドナウ川以内と考えていました。
父親に強烈な対抗心を持っていたアレクサンドロス3世はドナウ河を超えて異国の地を征服しています。
父親に対する対抗心の逸話はこれだけではありません。
前328年に行われた宴でアレクサンドロス3世が父親フィリッポスの業績を見下したことがあったそうです。
この時フィリッポスにも遣えた古参兵であるクレイトス(フィリッポスの乳兄弟)が酔った勢いでアレクサンドロス3世を諭し、さらに「グラニコスの会戦で私があなたの命を救ったのですよ」というような発言をしてしまい、ブチ切れた王は掴みかかろうとしました。
そしてクレイトスが「ああギリシャにはなんて忌々しい風習があるのか」といった火に油を注ぐとどめの一言を発したときに、アレクサンドロスは兵の槍をつかみ取って彼を一撃したと言います。
アレクサンドロス3世の支配欲・承認欲にまつわる逸話F強大な王権の視覚化戦略にアロマを巧みに活用:乳香フランキンセンス
アレクサンドロスの史実には、重要なタイミングで乳香(フランキンセンス)というアロマが登場します。ここでは3つの逸話をご紹介しましょう。
アレクサンドロス3世のバビロニア入城 シャルルルブラン
アレクサンドロスがバビロニアを征服した際、権威と名声を誇り続けたバビロニアでは市民によって花や賛歌が捧げられ歓迎ムードが漂い、檻に入れられた豹とバビロニア騎兵が出迎えました。
このとき王者としてのステータスシンボル乳香が焚かれたと言います。
乳香にまつわるアレクサンドロス3世の逸話で、彼が何に重きを置いていたのかがわかる興味深いエピソードがあります。
アレクサンドロス3世は幼少時代に家庭教師レオニダスの指導のもと、ホメロスやトロイアのアキレウスなど英雄伝や哲学政治学などを学んで過ごしました。
ある時アレクサンドロス3世が無造作に乳香を焚こうとしたところ、レオニダスは「乳香の産地シバの国を征服するまではもっと倹約しなければなりません」と諭したと言います。
20歳の若さで即位したアレクサンドロスはみるみるうちに頭角を現し、エジプト近いガザを征服したとき、真っ先にレオニダスに乳香を送り届けたとか。
しかも「たくさん乳香を送りますので、もう神にケチケチしないでください。」というメッセージまで送ったのです。
真意がどうだったかは定かでないものの、「見返してやる」といった意図があったことは確かです。
「まだ王たる者として足りない」とも言える発言がどれほどの屈辱を実感させてしまうことになるか、レオニダスは想像も付かなかったのではないでしょうか。
アケメネス朝ペルシアを支配した後のアレクサンドロス3世に対して、大王伝の多くが「堕落と贅沢」について指摘しています。
例えば前三世紀の作家フェラスコスが以下のように言っています。
紀元前333年 イッソスの会戦でダレイオス三世の天幕にアレクサンドロス3世が入ったところ、下のような豪華絢爛ぶりに度肝を抜かれ「これが王たる者の生活か…」とつぶやきます。
- 黄金製の香油瓶があちらこちらに置かれ、天幕隅々まで乳香がかぐわしく満たされていた
- 黄金の豪華な装飾・皿・水差し・浴槽・馬具
- 兵への支払いに蓄えてあった金
- 玉座の上に立つ金の葡萄の木(樹木に黄金や宝石を施した玉座の飾り)
※天幕とは大王の移動式宮殿
出典:.jw.org
うらやましい…といった感嘆ではなく、「こんな豪奢な生活をしているとはなんと軟弱なのだ。これで私に勝てるはずがない」といった意味だったらしいのですが・・・。
しかしこの後ダレイオス三世が完敗したのちに、嘲笑ったはずのアレクサンドロス3世自身がそっくりそのままダレイオスの天幕を再現してしまうのです。
「信じ難いほどの贅沢ぶりと映ったはずのダレイオスの日常を、ダレイオスを破った後にアレクサンドロス3世が模倣した」、こうした様子を周りは「滑稽な堕落」と見なしました。
また、この天幕を活用したアレクサンドロスの興味深い逸話があります
法廷で何か裁決をするときに、簡素な法廷の場を選ぶこともあれば、相手が東方人だったときはその豪奢な天幕を裁決の場として活用することもあったとか。
東方人に対してダレイオス三世を超える権威を見せつける目的だったと言います。※ローマ帝政時代ポリュアイノスの証言
アレクサンドロス3世の強烈な支配欲を垣間見れる逸話でもあります
アレクサンドロス3世の宿敵ダレイオス三世が移動する際は以下の人員が必ず採用されました。
- 香水作り(調香師)
- 花冠職人
- 演奏係
- ワイン係
- 入浴係
- チーズ職人
- 飲食
アレクサンドロス3世もこのダレイオス三世の王権の視覚化に倣って前述した豪華絢爛な見せ方をしたと考えられています。
結局アレクサンドロス3世は何を果たしたかったのか?
ギリシャの属国の位置づけだったマケドニアがわずか10年のうちに大帝国へと発展していったその首謀者アレクサンドロス3世には、特に偉業東方遠征の動機について謎と考えられる場合が多いです。
この謎に対し、これまでの逸話から読み取れる事は多いのではないでしょうか。
この時代は生きるか死ぬか分からない中で身を守りながらサバイブしなければならず、個人・国という生存競争で「常に勝利」し続けなければなりません。
敵を制圧して支配下に置き、過去の自分を常に塗り替えて上回ることや名声に酔いしれることがが明日の命の保証がない彼らの生きる上での糧だったのではないかと思われるのです。
この点では、アレクサンドロスの生きざまは純粋できわめて高い志だったと言える気がします。
アレクサンドロス3世の故郷マケドニア
アレクサンドロスの硬貨
また膨大過ぎる犠牲・損失・代償が生じていることも鑑みると、すべては強烈なエゴのなせる業であり、その時代だったからこそ成り立つものだったのではないかとも思われます。
【補足】王たる者の香り:乳香フランキンセンス
出典:TREE OF LIFE
アレクサンドロス3世が強大な王権の顕示欲に活用したフランキンセンスとはどんな香りなのかを簡単にお伝えします。
乳香をよく知られる香りで表現するならばレモンとサンダルウッドを合わせたような、それでいて深い落ち着きをもたらす香りです。
この香りの歴史は4000〜5000年ほどあり、最古の記録では古代エジプトで活用されていました。
ハトシェプス宮殿に描かれた乳香の樹木
乳香フランキンセンスはアレクサンドロスが征服したアラビア半島に今なお生息しており、乾いた荒地ほど良質な香りが採取できると言います。
シバ王国跡地と考えられている乳香の産地・出航地であり世界遺産KHOR RORI
この乳香を採取するのは遊牧民ベドウイン。下のように刃物で樹皮に傷をつけるとコンデンスミルクのように粘性の高いゴム質の樹脂が滲み出てきます。
出典:朝日新聞 globe 2013
乳香の硬化した状態・筆者撮影
前述のシバの国の女王、そしてクレオパトラにも愛され、キリストの生誕時に救世主のシンボルとしてささげられています。
古代エジプトでは香りが神と人間を仲介すると考えており、乳香は神の化身的な存在でした。神の子にこだわったアレクサンドロスが乳香で躍起になる理由はここにあります。
執筆:調香師 雨宮悠天
商業施設で香りによるブランディングのプロデュースを行なうアロマ空間デザインを事業の一つとしていました。
記事中にあるフランキンセンスについては、商業施設のように不特定多数の老若男女に好感度抜群の香りとして好まれるような香りではありません。
しんみりとした時間に一人で楽しむ香りがフランキンセンスではないかと思います。
【画像の出典】
*:ピエールブリアン アレクサンダー大王 未完の世界帝国
※:森谷公俊 アレクサンドロスの征服と神話
ほか出典明記なき画像はフリー画像サイト、使用が許可されたWIKIPEDIAの画像より
【参考】
山田憲太郎 香談 東と西
森谷公俊 アレクサンドロスの征服と神話
ピエールブリアン アレクサンダー大王 未完の世界帝国