クレオパトラの香・そのレシピと巧みな使い方
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紀元前51年エジプトを支配したプトレマイオス朝の最後の王クレオパトラはエキゾチック・力強く・小悪魔的に男性を魅了したことでよく知られています。
クレオパトラの魅力を強力に引き上げたのが、香りというツールでした。ここでは「クレオパトラが使っていた香水」と噂される香りのレシピと、彼女の巧みな使い方をご紹介しています。
クレオパトラが使っていた可能性のある香水の正体
クレオパトラの香のレシピ
クレオパトラの死後彼女使っていたとされる香りについてのレシピが象形文字で残され、2000年経過した今科学者がこのレシピを再現したと言います。
- オリーブオイルのような植物油
- ミルラ:樹脂から取れる香りで、「松脂を甘くしてシナモンを加えたような印象」の香り
- ロータス:当時のエジプトでは生命力のシンボルとされる。極めてロマンティックなイメージ
- 矢車菊
- カルダモン
- シナモン
クレオパトラが使っていたと推測されている香りのレシピのキーフレグランス(香りの印象を決定づけるメインの香り)は、ミルラでした。
前述していますとおり、このミルラという香りは「松脂を甘くしてシナモンを加えたような香り」ですので、現代女性が好むような甘く可憐な香りとはかけ離れています。
当時ミルラは神の香りと認識されており、さらに特にクレオパトラのようなファラオには最上級とされるミルラだけが献上されることが決まっていましたので、最上級のミルラの香りを纏うこと自体がファラオを物語っていたとも言えるのです。
樹脂のオイルであるミルラとその他の植物からなる香の混合物は、エジプトの神に祈りを捧げるときに焚かれたキフィに似ているとか。
クレオパトラが使っていたのは香水ではなく香油
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注意しておきたいのが、クレオパトラの香りと考えられているのはアルコールや水のような主原料に香りをまぜたものではなく、植物油や動物油脂に植物を入れ芳香物質を油に移すような浸出油(インフューズドオイル)だったという点です。
上の画像にあるように、ワックスコーンと呼ばれるものをかつらの上に置き(ファッションの一種)、頭から垂れてくる香り付きの油を体に染み込ませていたとか。
王家同士の集まりの中で行われる祭事でワックスコーンを頭に乗せ、時間が経過するごとに香りが祭事の場でふわっと芳しく広がっていくのでその場の雰囲気を高めるような役割もあったと言います。
クレオパトラの驚くべき香りの使い方
クレオパトラがどのように香りを使っていたのか、史実に基づいたエピソードとともに使い方をご紹介します。
誘因ツールとして
クレオパトラは古代の世界の権力者である二人の男性ユリウス・カエサルとマルクス・アントニウスを虜にしたことで有名です。
二人の男性と会うときには部屋中に46センチものバラの花の絨毯を敷き詰めて迎え、ムスクなどのセンシュアルな動物香料を身に付けていました。
クレオパトラは美貌についていまなお注目されることが多いですが、類まれな知性・優雅で奔放な性格・巧みな香りの活用が二人の男性を魅了したのではないかと考えられているように思います。
夜ぐるぐる巻きにされた絨毯の中に潜り込み、『絨毯から飛び出してカエサルの前に登場した』といったエピソードは伝説となっているようです。
絨毯から飛び出してカエサルの前に現れるクレオパトラ・ジャンレオンジェロ―ム
香りをこのような誘因ツールとして活用するのは古今東西の習わしではありますが、クレオパトラの場合は「明らかに戦略的」でした。
香りがする植物を採取するためのプラントハンター部隊がいたと言われるほどで、彼女自身の美への探求心と男性を虜にする底なしの野心がそうさせていたのではないかと考えられます。
プルタコスは「クレオパトラの鼻がもう少し低ければ歴史は違っていたはず」といった明言を残していますが、もし彼女の香水が魅力的でなかったなら、歴史はまたちがっていたのではないかとも言えるでしょう。
ファラオとしてのアイデンテティツール
アントニウスとクレオパトラ・フランスウーテルス
マルクスアントニウスがクレオパトラを召還したとき、クレオパトラは船の中に香りを漂わせ、さらに到着の地に彼女が到着したことを知らせるために体にも香りをまといました。
これは香りを自分が登場したことを知らせる「アイデンテティ―ツール」として活用しているエピソードです。
また、上述しましたとおり「ミルラは神を意味」しており、その最上級品だけが王家に献上されると言われていましたので、必然的に「最上級のミルラ」を身に付ける人は王家に限られると考えられました。
すなわち、最上級品のミルラがファラオとしての品格やアイデンテティを表したツールだったとも言えます。
※プトレマイオス朝はアレクサンドロス3世の部下プトレマイオスによる王朝でした。
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