平安時代の香り文化・日本の香り芸術の黎明期
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ここでは平安時代の香り文化についてその背景やどのように香りが楽しまれたかをお伝えしています。
また、源氏物語に登場する平安時代の人や香り文化についてもご紹介していますので参考にされてください。
平安時代に香り文化が花開いた背景
日本最古の香りにまつわる記述は500年代にさかのぼります。東南アジアから沈香が流れ着き、火を付けたところあたり一帯に芳しい香りが広がって聖徳太子も思わず笑みをこぼしたとか。
それから奈良時代唐の僧侶・鑑真和上が渡日した際に「香りの文化」として伝わり始めます。
仏前に供える香りとはまた違い、以下のような背景から平安時代に香り文化が花開きました。
ステータスシンボル
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平安時代の香り文化は貴族の間で広がりました。地位とそれがベースとなったインテリジェンス・教養を示す上で香りが用いられたのです。
香りによって身分を推測できるなど、貴族のステータスシンボルとしても欠くことができませんでした。
余興・アミューズメント
平安時代に広がった香り文化は、貴族の間の余興やアミューズメントとして楽しまれるようになります。
競技(薫物合・たきものあわせ)でいい香りが作成されたり、季節に合わせた香りの調合で季節の移ろいを表現するなど、貴重な香りを風流な余興として扱う貴族ならではの文化だったようです。
異性を認識・アイデンテティの表現として欠かせないツール
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香りの調合は身に付ける人自身で行われ、身分・性別などからその人自身が自分にふさわしいと感じる香りをいくつか選んで調合、「自身の香り(アイデンテティ)」と認識されていました。
また、当時は知らない男女が顔を合わせてはならない風習があり、後述するように着物や髪に香りを移すことによって他者に自分自身の存在を示すツールでもあったようです。
残り香などから「誰が部屋に居合わせたのか?」を推測できるので、男女間のコミュニケーションツールとしてかなり重要な役割を果たしていたとか。
平安時代の香りの楽しみ方
それでは平安時代でどのように香りが楽しまれたのか?具体的な楽しみ方をご紹介します。
寝室に香りを漂わせる空薫物
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貴族の寝室(プライベートルーム)に香りを漂わせる空薫物(そらたきもの)は、上のような香炉が用いられました。
陶器などの香炉の中に灰が敷き詰められて火が灯され、その中にお香が投入されているという、間接的に熱が香料に伝わっていく仕組みになっています。
お香を着物に移す薫衣香
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貴族の着物に香りを移す薫衣香(くのえこう)は、「香りがする着物をまとう」といった風流なファッションです。
上のように香炉の上にかご(伏籠)を乗せ、さらにその上に着物をかぶせて着物に香りを移して行われました。
また、枕の下に香炉を置いて髪に香りを移す貴族もいたとか。実にオシャレな文化ですよね。
平安時代のお香の種類
鑑真和上が奈良時代にもたらした香りは、ほぼ東南アジアなどのはるか海の島々に生息する原料で、きわめて高額・希少でした。
平安時代になってからは、日本人の感覚や美意識から季節の移ろいを香りによってあらわす「六種の薫物(むくさのたきもの)」が確立していきます。
この六種の薫物の原料は主に以下のような原料が用いられました。
- 画像1:左上から時計回りにフランキンセンス・ベンゾイン・龍脳・沈香・サンダルウッド
- 画像2:左上から時計回りにクローブ・スターアニス・カッシア・貝・パチュリ
この原料から以下のような薫物が調合されるようになりました。
六種 | 原料とその香りの印象 | 季節 |
---|---|---|
梅花 | 主原料・フランキンセンス・サンダルウッド・麝香からできた梅の花のような印象 | 春 |
荷葉 | 主原料・ベンゾイン・パチュリ・ターメリックからできた蓮のような印象。 | 夏 |
侍従 | 主原料・甘松香・ターメリックからなり、気品と情緒あふれるさまを表現した香り | 夏 |
菊花 | 主原料・フランキンセンス・麝香からなり、菊の花のうつろいを表す | 初秋 |
落葉 | 主原料・フランキンセンス・甘松香・麝香からなる落葉のころの情緒あふれるさまを表現した香り | 晩秋 |
黒方 | 主原料・フランキンセンス・サンダルウッド・麝香からなる春をまつ冬を表すシックエレガンスな香り | 冬 |
菊・梅・紅葉といったような植物の名前が付いていても、実際は原料にそれらは含まれていません。
平安時代の貴族たちは当時入手できる香りの原料を使い、全くの創造創作でもって香り文化を楽しんでいたのです。
源氏物語の世界における香りの文化
平安時代の香り文化を知るうえで紫式部著の源氏物語を紐解くと、当時の香り文化の造詣が深まるのではないでしょうか。
ここでは有名な明石の君の入内のシーンと、薫・匂宮のエピソードをご紹介します。
明石の姫君入内のシーン
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光源氏が左遷先の須磨で成してしまったのが明石の姫君です。
明石の姫君が入内するタイミングに周りの女性たちを集め、お祝いに一番ふさわしい香りを調合(薫物合わせ)するように競わせます。
このように愛娘を社交界にお披露目する晴れの日にふさわしい余興でもあったのです。
薫と光源氏の孫匂宮の激戦
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光源氏と女三宮は夫婦として結ばれたものの、彼女は柏木という男性との間に薫という不義の子を成してしまいます。
この薫は「美男で体臭そのものが芳しいみやびやかな香気」と噂されました。
また、光源氏の孫匂宮は薫を強烈にライバル視しており、薫に負けないように「誘因のための香り」を考案していたのです。
この二人がどんな理由で競い合っていたのか、想像に難くありませんよね。
まとめ
平安時代は空薫物や薫衣香などファッション性や芸術性と相まって香り文化の黎明期が幕開けしました。
それら香りのクリエーションは「作成者によって異なる香り」が出来上がるのが良しとされました。また、六種の薫物については配合すら作成者に委ねられます。
何か高い完成度の作品を複製する意図よりも、常住(=一定のまま)を目指さず揺らぎの中に芸術性を見出そうとするところに重きが置かれているのです。
なお、弊社所在地近くに光源氏のモデルとなった中将藤原朝臣実方の墓がございます。
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